【感想】たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える 瀧森古都

たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える

※この記事はネタバレを含みます。

 

この本を読もうとしたきっかけは、アマゾンプライムビデオで放送していたバチェロレッテ。

杉田陽平さんが「たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える」という言葉を福田萌子さんに伝えていました。

素敵な言葉だなと思うと同時に、この言葉がタイトルになっている本はどんな内容なんだろう?と興味を持ちました。

 

この本を読んで思ったことを一言でまとめると「登場人物の思考が理解できない」

泣いた!人生のバイブル!など絶賛する言葉が並んでいたが私はそうはそうは思わなかった。

 

たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える

『たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える』では、問題を抱えながらも頑張って生きる人たちが描かれている。

「未来に希望が持てなくても今、今日という日を頑張っていきていこう」というメッセージ性は伝わってくる。

でも問題を作り出しているのは、主人公たちの父親・母親である。

 

いじめ、未成年の妊娠、育児放棄、不妊治療に対する男性側の意識など

現代にはびこる問題がぎゅっと詰まっていた。読んでいて胸糞悪い。

 

それぞれ思う所があるので感想をかいていこうと思う。

修二・リンゴの母親 母親になるということ

主人公である修二の母親が一番理解できない。

母親の経歴を簡単にまとめると・・・

 

主人公である修二を17歳、深夜の学校でシングルで出産、放置。

当時の担任が父親であると嘘を付き、相手の男子学生を庇う。

(父親は先生、母親の欄が空白で出生届が出される)

高校、そして短大を卒業。親が勧めるお見合い相手と結婚・離婚。親から見放され夜の世界へ。

夜の仕事を転々としたのち一夜の相手との子供を妊娠。(この子供がリンゴ)【P147】

 

この女性の問題点は、他人・子供の人生めちゃくちゃにしたのに償いもなくまた同じことを繰り返すところにあると思う。

 

人生において失敗した場合、何度でも立ち直ればいいと思う。

だけど人様に迷惑かけて「次こそは!」とこの母親の場合、子をもうけ育てようとする。

そしてその子も上手く愛せない。狂人かな?

 

【P53】では

『普通』の温かい家庭を築き、『普通』の奥さんになって、『普通』のお母さんをやりたかった。

と言っているがどれも一人では成し遂げられないこと。

 

親がセッティングしたお見合いで結婚した相手、本当に好きでしたか?

一夜を過ごした相手が責任取ってくれると思いましたか?

 

全てにおいて浅い。

結婚、出産に対する考えが甘い。

 

この母親が本の中の人で良かった。

作中にでてくる母親みたいな思考で子をなそうとしている女性がいたら子供が可哀想だ。

子供は、あなたの理想を叶える道具じゃない。

修二の母親(当時17歳)と逃げる男 未成年の妊娠

本作では、未成年の妊娠が描かれている。

誰にも相談できず一人で産む女(修二の母)、医者の家系で自分の人生を取った男(他校の男子生徒)。

大人になったのち男(他校の男子生徒)は子供を捨てた過去を引きずり後悔していました。

勤務中、母子ともに死なせてしまったことがトリガーとなり自殺。

 

読者の私からしたら「え?」でした。

 

そんなに悔いているなら、死ぬ前に罪滅ぼしでもなんでもしてからにすればよかったのに。

お金あるだろうし、興信所を使ってでも修二の母と子供見つけることも可能だったのでは?

 

悲劇のヒロインみたいな死に方してんじゃないよ。


コロナ渦の最中、望まない妊娠をする未成年の増加。アフターピルを薬局で買えるようにという声が上がる現在。

この感想を書いている最中、生まれたばかりの子供を遺棄して女性が逮捕された。

男性は安易に妊娠させることができるし、逃げることができるという現実に怒りが湧く。

 

根本を辿れば「日本の性教育が遅れている」という問題が挙げられるかもしれないけど、

中学・高校生は「性行為をしたら子どもができるかもしれない」ということが分かっている気がする。

それが何となくだとしても。

 

男性・女性どちらが悪い議論は難しい。ケースバイケースなので何とも言えない。

でも望まない妊娠した場合、一番の被害者は子供となる。

 

おろされても地獄。生まれてきても地獄。

 

上手く行くケースは親のサポートがある場合だけだと思う。

未成年で子供を産んだ女性のインタビューなど見る機会があるが、実家で生活していることが多い。

大卒の人でも就職難なこの時代、子を抱えて学歴がない未成年女性が一人で育てていくのはやっぱり難しい。

 

男性側がお金を出すケースはまだ救いがある。(それでも女性側の体と心は傷が付くが)

逃げる男は人間として終わっている。

 

園長先生と老舗旅館経営の旦那さん 不妊治療

女性側が妊娠しづらいという場合、こんなに肩身が狭くなるのかな?

子供が産めないことで人間否定されている描写を見てふぅ・・・と息が苦しくなった。

「家」「跡取り」というものに縛られて生きる人ってまだまだ多くいるんだろうなと思う。

 

管政権になってから不妊治療の保険適用の話が出て、Twitter界隈で議論が飛び交っていた。

「今までたくさんのお金がかかっていたからよかった」という声を見かけた。

 

でもそれよりも目に付いたのが「もっとお金くれ。」「産んでからのミルク、おむつなど支給しろ。」

さながら地獄の蓋が開いてるが如くの状況だった。

また、「周りが不妊治療を勧める材料になるのでは?」という声も聞いて何とも言えない気持ちになった。

 

誰かの善は、誰かの悪。

安易に「不妊治療で悩んでいる人よかったね」と思った自分を殴りたい。

世の中そんな単純に回っていないことに気が付かされた。

 

不妊治療について「自分は子供を産まないし関係ない」と思っていたがそうでないことを知った、

【不妊治療の助成金は、国民の税金から。】

他人の妊娠に国民のお金が使われていると考えると・・・正直、少し気持ち悪い感じがしてしまった。

なんでだろう、生理的なものだから言語化できない。

 

思ったことは、

・不妊治療かつ高齢出産はきつい。子供が20歳のとき、親の介護が待っていたら可哀想な気がする。

・不妊治療で辛い思いをする女性をサポートすらできず、責めるような男との子供が本当に必要なのだろうか?

・不妊治療でお金が消えて子供を育てるお金がないのは本末転倒。

 

迷惑を被るのは弱者である子供

この本はきっと「どんな苦しい状況でも今日を生きることの大切さ」を伝えたかったと思うけど・・・

登場人物の生い立ちが琴線に触れるものばかりで集中できなかった。

 

「子供を愛せない」と修二の母は言う。

勝手に生み落としておいてほんと何言っちゃってるのと思うけど・・・

子供は自分とは違う別個体。愛せないこともあるかもしれないけど、

最低限産んだからには何不自由ない生活をおくらせてあげるのが筋だと思っている。

 

子どもに不自由なく生活させてあげられない場合、親になるべきではない。と私は思う。

「貧乏でも愛があれば」というワードを聞くが笑止千万。

 

不幸な子供が減ることを祈る作品となってしまった。

本の内容にマジレスすんなよ(笑)という感じだが、あまりにも不幸自慢のオンパレードで感情が追い付かなかった。

 

『たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える』

杉ちゃんがバチェロレッテの中で紡いだ言葉、行動の方が美しく心に響いた気がする。

心をデトックスするためにもう一回リンゴの木を植えるシーン見に行こ。

たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える
最新情報をチェックしよう!