こんにちは。新米夫婦のふたりごとのなつです。
岐阜県大垣市にある『大垣城』に登城してきました!
岐阜城に続いて大垣城。大満喫してる!
この記事では、大垣城に登城した様子・感想とともにいただいた御城印、100名城スタンプ、文化遺産カードについて紹介します。
大垣城(岐阜県大垣市)
大垣城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に創建されたと伝えられています。
関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となりました。
その後、戸田氏が十万石の城主となり明治まで太平の世が続きました。
昭和11年(1936)に国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)7月戦災で焼失。
昭和34年(1959)4月、4層4階の天守を再建し、城下町大垣のシンボルとなりました。
引用元:大垣城|大垣市公式ホームページ
西軍・石田三成の本拠地『大垣城』に登城してきました!
私たちは車がないので、大垣を観光するにあたって『レンタサイクルすいとGO!』を利用しました!
宿泊したコンフォートイン大垣も受付ステーションとなっていて無事借りられました。
しかも無料!ありがたい。
駅通りの商店街を駆け抜けました。
110m先大垣城の案内があり、信号を渡ると東門に着きました。
でも自転車を停めていい雰囲気ではなく彷徨い・・・大垣公園に駐輪しました。
結局、どこに停めるのが正解だったのだろう?
濃飛護國神社で参拝後、西門へ。
戸田氏鉄公騎馬像
西門前に戸田氏鉄公騎馬像がありました。
戸田氏鉄は1635年から235年間大垣を治めた戸田家初代藩主。
関ヶ原の戦いでは徳川の家臣として活躍したそうです。
歴史に疎いので最初どなたさん?状態でしたが石田三成が敗れた後、大垣の地を治めた人なのね。
大垣城内でもっと勉強しないと、いざ参る!
西門
説明看板によると大垣城は『南と東を大手(城の正面)、北と西を搦手(城の裏)とする要害堅固な城郭』だったそうです。
石垣は石灰岩が多く使われていてサンゴ、フズリナ、ウミユリ、シカマイア、ベテロフォンなどの化石を見ることができるとのこと。
【メモ】要害堅固:守りやすく攻めがたい
西門から天守を見ることができました!
写真で改めて見ると三角屋根の重なりがとっても綺麗だと思いました。
大垣城天守
天守は戦火で焼失してしまいましたが、昭和34年、外観を昔の姿のまま(四層四階建て・総塗りごめ造り)再建したそうです。
- 開場時間 9:00~17:00(入場は~16:30)
- 休館日 毎週火曜日、祝日の翌日、年末年始
- 入館料 大人200円
大垣城・郷土館・守屋多々志美術館・奥の細道むすびの地記念館のセット券(大人600円)もありました。
いざ、天守の中へ!
最初に目に入ったのが戌亥櫓。結構近い!
扉もなんだかおしゃれでした。
大垣城の歴史や関ヶ原の戦いについてのパネルがあり、読んでいくと知らないことがたくさんありました。
- 慶長5年(1600)石田三成(西軍:豊臣方)美濃入り。大垣城入城
- 予想外に早く東軍が美濃の諸城を攻略、赤坂岡山に布陣
- 9月14日(関ヶ原の戦い前日)西軍・島左近による奇襲「杭瀬川の戦い」勝利。士気UP→家康の作戦にのせられ関ケ原へ
- 9月15日 関ヶ原の戦い 東軍(:徳川方)勝利。敗北が伝わり大垣城では相良頼房らが寝返る・他武将謀殺される。本丸を守る福原長尭籠城。
- 9月23日 城兵の助命を条件に降伏・大垣城開城
参考:大垣城|大垣市教育委員会、水と城の大垣 大垣城
西軍が東軍に翻弄されている感がすごかったです。
もし石田三成が関ヶ原に転進せず大垣城決戦が行われていたら・・・というパネルも興味深かったです。
東軍が陣を構えた赤坂岡山ってどのへんだろう?と調べたところJRの駅で3駅分くらいの場所でした。
【岡山本陣跡】
結構近い!こりゃ焦っても仕方ない気がします。
火縄銃・槍・弓体験コーナーがあったので記念撮影!
夫婦二人ともかっこよく構える練習が必要かも。
天守最上階(4階)には大きな太鼓がありました。なぜに?
展望台になっていて大垣の町を一望できました。
東
西
先ほど登城した岐阜城も肉眼で見ることができました!
御城印をいただいて天守を後にしました。【所要時間40分】
天守の屋根瓦にも注目らしいけれど、見逃していた。。
3階南西の隅・・・邪鬼を踏みつける鬼瓦(【!】肉眼では見えにくいらしい)
南西・・・邪鬼やお城を守る役割があるとされる桃・三つ巴
写真で確認したところこれかな?というものが写っていました。
城見るところいっぱいあるな~。
西門から来たのでぐるっと回りを散策することにしました。
丑寅櫓
東門
東門はかつての内柳門です。内柳門は明治初期までは現在の市役所近くにありました。
その後、戸田家別邸の門に転用され、天守再建に伴い再移築され東門として整備されました。
引用元:大垣城|大垣市教育委員会
石垣にある8か所の刻印探せなかった( ;∀;)
鉄門跡
南に下ると鉄門(くろがねもん)跡と看板がでていました。
大垣城は幾重もの堀に囲まれていて
本丸に行くには二の丸から廊下橋を渡って鉄門をくぐる必要があったみたい。
防御堅いけれど、行き来大変そうだ。
ぐるりと散策して大垣城北側へ。
水之手門跡
戌亥櫓・おあむの松
関ヶ原の戦いでは家臣の家族も城にたてこもりました。
家康の手習いの師匠であった山田去歴とその娘「おあむ」は城からの脱出が許され、たらいに乗り、城外に逃げたという話が残っています。
その話にちなんで、後世の人が天守西側の大松を「おあむの松」と呼ぶようになりました。
引用元:お城のまわりを歩いてみよう
明治29年大洪水点
明治29年の水害では、大垣城の天守石垣まで浸水したそうです。
旦那さんの身長くらいまで石垣の色が変わっていてびっくりしました。
死者もすごい多い。
そりゃ高いところに建てられるであろうお城の石垣がこの調子じゃ・・・そうだよね。。
最後にすごいものを見てしまった感がある。
大垣城でいただいたもの(記念品)
大垣城でいただいた御城印、100名城スタンプ、文化遺産カードを紹介して記事を締めようと思います。
大垣城の御城印
大垣城の御城印には、石田家の家紋である「九曜」と「大一大万大吉」の朱印が捺されています。
大一大万大吉(だいいち・だいまん・だいきち)とは
一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれるというもの。
引用元:石田三成、その人物像とは|滋賀県
美濃和紙が使われているところも素敵!
朱印料は300円で天守受付でいただけました。
続日本100名城スタンプ・記念スタンプ
大垣城は続日本100名城に制定されているそうです。番号は144。
続100名城のスタンプの他にも1つ記念スタンプがあったので捺させてもらいました。
(下2つは奥の細道結びの地記念館にて)
文化遺産カード
大垣市内の8施設で文化財カードなるものを配布しているそうです。
文化遺産を撮った写真を見せるだけでいただけます。
大垣城でもらえるのは⑤大垣城⑥円通寺山門⑦大手いこ井の泉の3枚。
カードの存在を知らなかったので、レンタサイクルで回って再度訪れました。
「集めるカードが増えるのはなー」と思いつつも旅行の記念品としてはありがたい。
墨俣(すのまた)一夜城のもあると知ったので忘れないようにしないと。
大垣城の記念メダルもあったそう。見逃したかあえて買わなかったか記憶なし。
アクセス・利用案内
住所 | 〒503-0887 岐阜県大垣市郭町2丁目52 |
電話番号 | 0584-74-7875 |
開館時間 | 9:00~17:00(入場は~16:30) |
休館日 | 毎週火曜日、祝日の翌日、年末年始 |
入場料 | 大人200円 |
アクセス | 公共交通機関の場合:JR大垣駅より徒歩7分
自家用車の場合:大垣ICより15分 |
まとめ
岐阜県大垣市にある『大垣城』に登城してきました!
小さなお城ながら見どころたくさんで良い意味で想定外でした。
関ヶ原の戦いは名前とどちらが勝ったかぐらいしか記憶になかったので、また一つ勉強になりました(^^)満足。
大垣城にアクセスしやすかったホテル『コンフォートイン大垣』
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